2024年1月3日プッチの旅立ち

2024年1月3日12時40分プッチは私の元から旅立ちました。

プッチが最後に自分でゴハン食べたのは2023年12月22日のお昼ご飯 、妹が食べてるサバの塩焼きを欲しそうにしてしっかり食べたらしいです。

でもその日の夜からほとんど食べなくなっっしまった。

それまでにも食べたくない時期は度々あったからいつもの事かと思ってたので、薬だけは飲ませるために砂糖水に溶かしてシリンジで朝晩飲ませました。

24日に病院で「食欲がない」と伝えると26日に血液検査をすることになり、結果は「腎機能の数値は前回と比べて変化はないけどリンの数値が上がってるのでサプリメントを朝晩飲ませるように。食欲がないのはそのせいでしょう。それと今まで週一の皮下点滴を毎日にしましょう」との指示 。

さっそくその日からサプリメントを追加 、でも大好きな焼き芋にもフライドチキンにもヨーグルトにもチュールにも何にも反応しない。

さすがに食べなさすぎるのでロイヤルカナンのクリティカルリキッドの強制給餌を開始 、量的には全然足りてないけどまあ少しは飲み込んでくれてる。

そして年内病院最終日30日に連れて行こうと車に乗せた時、ふっとプッチの匂いが変わった感じがした。 臭いとかではないけど何となく違う 上手く言葉に出来ないけど…

その時にプッチはもう長くないんだな…食べないのは旅立つ準備をしてるんだな…と感じた。 すごくすごく悩んだけど30日からは投薬だけにして強制給餌は辞める決心をしました。 薬を飲ませるのは飼い主の義務、ご飯を食べる食べないはプッチの意思であり権利だと…

31日は妹と姪っ子2人が来てみんなで年越し、 最後になるかもしれないからいっぱいプッチと話してなでてくれてた 。プッチもうれしかったよね。

そしてお正月を無事に迎えることが出来て、 強制給餌は辞めてもまだ立ち上がる力もあるし、自分でトイレもしてる。プッチは頑張り屋さんだね。

2日はまた妹たちが来てプッチを抱っこしながら全員でしゃぶしゃぶ 。この日はほとんど寝てるだけで苦しそうに鳴くことが何度かあった。 お肉にも白菜にも当然無反応、 でもお水だけは自力で少し飲む 。それを見ると強制給餌を辞めたことが正しいのか悩んでしまう。でも正解はわからないし 、姪っ子たちもプッチの様子を見て31日よりもっと話しかけて抱っこしてくれてる 。プッチもみんなでワイワイ嬉しかったよね 。

寝る時はすごく不安だったのでリビングで夜明かしするか私の部屋に連れていくか悩んだけど、プッチは毎日父と一緒に父のベッドで寝てたし、父の部屋に行こうとするので父に任せることにした。

3日の朝起きて父の部屋に行くと寝てるとの事、 朝の薬飲ませてしばらくリビングに居たけど父が部屋に戻るのでプッチも一緒について行った。 12時40分、父から「プッチの呼吸が止まった」と電話がかかってきて、2階にいた私はちゃんとプッチを看取れていなくって。でも父と一緒の方がプッチは安心だから仕方なかったよね。 すぐに父の部屋に行って心臓が止まってるのを確認して… あまりに穏やかな寝てるような顔なので、きっと寝てるうちに逝ったんだなあって少し安心できた 。

仕事の行き帰りにお地蔵さんに「いつかプッチが亡くなる時は苦しまないように楽に逝かせて下さい」ってお願いしてたから、私のお願い聞いてくれたんだって感謝して…

とりあえず仏壇の前にプッチを寝かせたんだけど、何度見ても今にも起きてきそうな顔をしてる。 可愛くて可愛くて泣けるやら微笑ましいやら。 仏壇は父の部屋にあるので1人きりになる事もないから安心出来た 。

4日は仕事始めで帰りにお花と焼き芋を買って帰った。プッチ本当に焼き芋好きだったもんね。 お花はまだ市場が開いてなくて、5日ならもっとたくさん入ると教えてもらったのでまた5日に追加で買うことした。

家に帰ってお花と焼き芋を供えたら、今にも起きて焼き芋を食べそうな感じ がするし、焼き芋抱えたプッチの可愛らしいこと。 やっぱり亡くなってるのが嘘みたい 。

妹と姪っ子の都合で火葬を5日にしてもらったけど5日で正解だったみたい。 5日は早退させてもらってお花屋さんでたくさんのお花からキレイな花束作ってもらって家に帰った。 妹もお花買ってきてくれたからお花に囲まれたいつも以上に可愛らしいプッチ 。焼き芋とフードとチュールと姪っ子が描いてくれた絵と大好きだったおもちゃを持って、みんなに見送られて旅立ったプッチ。お骨上げして安心した気持ちと寂しい気持ちが半々かな。

今回旧Twitterで知った虹組飛行隊の皆さんが寄り添ってくれたおかげで悲しみが和らいだのはとてもありがたかったです。 本当に感謝しかないです 。

プッチの強制給餌を辞めたことは今でも私の中で答えの出ない課題が残っている感じ 。強制給餌を続けて4日に病院に連れて行けたら今とは違う結果になったのかなって。でもあの穏やかな顔を見るとこれでよかったのかな、って今は思ってます 。もちろんいつまでも一緒に居たかったけど、それは不可能だからそれなら安らかな最期を願っていたので 、プッチが自分でタイミングを決めて、それも年末年始でみんなに会えて見送ってもらえて安心して旅立てたと思ってます。 次にプッチに会うまで正解は聞けないけどね。